日 27 4 2014
小さい頃は
背が低くて
細くて
走るのが遅くて、
徒競走ではいつもビリ。
ソフトボール投げは女の子より飛ばせなかった。。。
小学校高学年になり、
相変わらず徒競走はビリだったけど、長距離はだんだん順位を上げていった。
中学校は同学年の男子が約150名。中学2年の長距離走で7位まで順位があがって喜んだつかの間。
弁膜症が発見された。
学校の検診でわかったものだから、かなり注視され、
学校対抗の駅伝大会の出場タイムを切ってたものの、出してもらえず、Bチームになんとか出してもらうように頼み込んだ事もあった。
体が細く、低血圧だったから、よく貧血を起こした。
みんな心臓と思ってすぐ休ませてくれたけど、みんなと一緒に走れない事が出てきた。
学校の先生に恵まれず、中三の時は先生の陰湿ないじめを受け、点数が悪くないものの成績が悪く、内申点がズタボロ。
私立高校にあがって体格は変わらず
電車の中で2度、チャリで通学中も1度貧血でぶっ倒れたっけ。
電車の中で倒れると病院に直行。検査入院した事もあった。チャリでぶっ倒れた時は、テストがあった日で最悪だったなぁ
大学は志望した所、学部に合格。
元々地質調査に興味があったので、業界では非常に評判の良かった学部学科に入学できたのは本望だった。
大学の入学式
人生が変わった日だった。
学科ごとバスで移動。同じ学科の新入生が集まる。
僕の隣はガタイが良く、高校まで柔道をやっていたS。隣に僕が座ったら本当に爪楊枝みたいw
で、そこに人生を変えた出会いがあった。
前に座っていた新入生に見えない人。
同じ学部の院生で、大学院の入学生。
その方がライフセービングクラブの方。
サークルにライフセービングはどう?って誘われた。
勿論誘われたのは僕ではなく隣のS
でも、隣で聞いてた僕には凄く興味があった。
部活ではなく、サークル。しかも命を尊い活動する。
もう迷いは無かった。
サークル説明に足を運んだ。
そこで見たのは先輩の笑顔。
すっごくキラキラしているのを憶えている。
充実に満ちた顔がみんなかっこ良く見えた。
そのあとの先生が持ってきた一枚の紙が印象的だった。
車いすに乗ったライフセーバーのチラシだ。
「誰でもライフセービングができる!
泳ぐのが遅くても、
走るのが苦手でも、
声掛け一つで命を救う事ができるんです。」
と、
しびれた、、、
そして、ここなら伸び伸び活動できる!
ここで活動したい!!
って思った。
これがライフセービングの出会い。
ライフセービング活動は楽しい事だけでは無かった。
もともとそんな泳げなかったし、資格を取るのも必死だった。
プールの水でお腹いっぱい、ゲップしながら帰った日々が続く。
海もそうだった。海水でお腹いっぱい、鼻水が滝のように流れ、目も赤く人には見せられない顔だったw。
ガードも大変だった。
一年目は必死だった。
がむしゃらでなく必死だった。
異例の二年目チーフだった。
責任が凄く重かった日が続いた。
三年目は同期と分け合った。
素敵な仲間、最高の後輩達。安心して監視ができた。
そして、体が大きくなって行くのが嬉しかった。
身長も少しだが伸び、筋肉が付いていく体にバネが付いた気分で嬉しかった。
足も早くなった。
置いてけぼりの僕が、みんなについて行けるようになった。
考えも余裕ができた。
凄く身長が伸びた感じがした、視野が広がった。
本当に嬉しかった。
素晴らしい妻と出会い。笑顔が最高の二人の娘に恵まれた。
これもライフセービングの出会いが無ければ、妻との出会いが無かったと思う。
そして、その娘がライフセービングを始めている。
みんなについて行こうと頑張った僕の後ろに娘が追っかけてきてるのだ。
こんな幸せは無い。
明日手術だけど、この病気が僕の人生を劇的に変えた。
ライフセービングと出会えた。
この病気。本当にニクいヤツだ。
今日学生時代のライフセービングクラブの同期から花束と応援のメッセージが届いた。
メッセージの中には同期だけでなく、後輩から先輩、大先輩。そして恩師まで。。。
中盤あたりで、同じ浜を監視した同期3人が連続で出た時は
子供達が目の前にいたけど大粒の涙がこぼれ落ちた。
凄く
幸せを噛みしめていた。
みんなに会いに行く事でいっぱいになった。
一秒でも早く元気になろうと。
そんな時に外科医の先生が様子を見に来て
まいっちゃった(;´Д`A ```
せっかく感動していたのに〜
という事で、
今日は忘れられないプレゼント頂きました。
ほんとおまえら最高だよ。
見てろよ!誰よりも元気な同期になってやる!