おとうちゃん奮闘記


手術無事終了しました。
これもまた皆様の応援あってです。

手術は全身麻酔。
緊張してたのか、麻酔用の点滴を刺す痛みが薄かったデス。後はそのまま気付いたら集中治療室でした。

妻が投稿した手術後すぐの記憶があまり無いのですが、夜、看護師さんに意識確認されたのは憶えています。気がついたら丸一日経ってて二回目の妻の投稿のあたりでした。
手術で心臓を止めるのですが、夢を見たか気になりますよね?
残念ながら夢は見ませんでした。見る人はいる様です。夢は夜の意識確認以降見ました。

集中治療室に運ばれた時点で両手足にバンドがしてあり、動かないようになっています。気付いた時に体のあちこちに刺さっている管にビックリして抜く人がいるらしいので抑えているらしいです。
気付いて間もなく解放されたのはバンドでした。最初は麻酔がまだ効いていて体が動くのですが、麻酔が切れると肘から手先以外動かなくなりました。
膝さえ立てるのが難しく、頭をずらす事すらできない状態です。
集中治療室で目が覚めて痰が絡むと恐ろしく苦しく、傷に激痛が走り、吸い出してもらうのに看護師を呼ぶのが必死でした。ナースコールが本当に手元にないと押せなくて、ベッドをガンガン叩いて呼びました。
血圧の変動が激しく、上160、下40とか、聞いた事の無い値が出て、気持ち悪かった。
体調が酷かったので、痛み止めと血圧の薬を多めに投与。これで予定の集中治療室2泊3日が3泊4日に。

気付いてから翌日30日。痛いけど、首を動かしたり、膝を動かしたり、体をさすってみて可動範囲を広げていきました。
夕方やっと膝を立てる事に成功。
1日は一気に可動範囲が広くなり、首を少し浮かせられる様になり、ベッドの柵を利用して横になれ、柵を利用すれば座れる様になりました。
一気に可動範囲が広がります。
そして、座れたのを確認したら一般病棟へ移動になります。

気がついた時は体に刺さっている管は首に4本(らしい)。右手に1本。左手に2本。右腹にドレンが一本(手術で出た血を太いホースで排出、透明の16mmくらい?のホース)。血圧低下時に電気を送るためワイヤーが左の腹に、そして尿管。あと、心電図(ポータブル)、呼吸器。

29日呼吸器外れる。
最初ナースコールが届かず、叫ぼうとした為、喉を痛めた様子。痛いし、声が枯れている。
呼吸器が外れた代わり酸素吸入を行う。
お昼に水分補給再開上限800mlまで、夕方から食事再開おかゆだった。

30日首のカテーテルが外れる。何本抜いて何本刺さっているかわからないが、首にまだ血圧コントロールする薬の管が刺さっている。

1日集中治療室を出る。
集中治療室から出る前に首と左手の管が外れる。
一般病棟で酸素も外れ、残る管は右手の点滴、ドレン、ワイヤー、尿管になる。ポータブル心電図は当分付けたままになるでしょう。
夕方、カートを使えば歩行ができる程戻りました!

ビックリする程体が動きません。まるで赤ちゃんやおじいちゃんにでもなった感じ。
ただ、痛くても動かせば、その分動く様になります。辛いけど嬉しいです。

手術についてですが、心臓を開いたら、弁に付着していた細菌が化膿し大動脈弁に穴が開いていたそうです。そしてその化膿物に接していた大動脈にも穴が開き弁置換だけでなく大動脈の穴も塞ぐ手術もしたそうです。
その穴の開いた弁の写真があるのですが、公開すると苦情が出そうなのでご想像で。

予定より手術が長引いた様で、その分体力も筋力も失われてます。
とにかくこれからは動かさなきゃ行けないので頑張ります!

おはようございます!

コメントに返事できず申し訳ありません。
この場をかりて、、、皆さま本当にありがとうございますm(_ _)m

先程、朝の面会に行ったところ、意識もあり筆談と指文字で話す事ができました。
「ハラへった、ラーメンよりばってらがたべたい」
「ひまだから、ふなっしーかく」
など、途中意識なくなりながら頑張ってました(^_^;)
経過も順調で、もう少しで呼吸器も外れる予定です。

2014-04-29-08.24

旦那の手術、無事に終わりました。
思った以上に弁の状態が悪く、時間がかかった様で、皆さまにご心配をおかけしました。
今はICUにて落ち着いています。
薬が効いていますが、声掛けに反応して手も握れました。
「おかえりなさい」に、ちゃんとうなずいていました(^-^)

2014-04-28-15.13

本人が術前に撮影の許可をもらっていたので撮らせていただきました。
なかなか珍しいらしいですが(^_^;)

皆さまの沢山の励ましと応援で頑張れました。
本当にありがとうございます。
簡単な報告でスミマセン、また経過をお伝えしたいと思います。

行ってきます!

2014-04-28-08.58

小指を立ててるのは、指文字の「い」を表してます。

小さい頃は
背が低くて
細くて
走るのが遅くて、
徒競走ではいつもビリ。
ソフトボール投げは女の子より飛ばせなかった。。。

小学校高学年になり、
相変わらず徒競走はビリだったけど、長距離はだんだん順位を上げていった。
中学校は同学年の男子が約150名。中学2年の長距離走で7位まで順位があがって喜んだつかの間。
弁膜症が発見された。

学校の検診でわかったものだから、かなり注視され、
学校対抗の駅伝大会の出場タイムを切ってたものの、出してもらえず、Bチームになんとか出してもらうように頼み込んだ事もあった。

体が細く、低血圧だったから、よく貧血を起こした。
みんな心臓と思ってすぐ休ませてくれたけど、みんなと一緒に走れない事が出てきた。
学校の先生に恵まれず、中三の時は先生の陰湿ないじめを受け、点数が悪くないものの成績が悪く、内申点がズタボロ。

私立高校にあがって体格は変わらず
電車の中で2度、チャリで通学中も1度貧血でぶっ倒れたっけ。
電車の中で倒れると病院に直行。検査入院した事もあった。チャリでぶっ倒れた時は、テストがあった日で最悪だったなぁ

大学は志望した所、学部に合格。
元々地質調査に興味があったので、業界では非常に評判の良かった学部学科に入学できたのは本望だった。

大学の入学式
人生が変わった日だった。
学科ごとバスで移動。同じ学科の新入生が集まる。
僕の隣はガタイが良く、高校まで柔道をやっていたS。隣に僕が座ったら本当に爪楊枝みたいw

で、そこに人生を変えた出会いがあった。
前に座っていた新入生に見えない人。
同じ学部の院生で、大学院の入学生。
その方がライフセービングクラブの方。
サークルにライフセービングはどう?って誘われた。
勿論誘われたのは僕ではなく隣のS
でも、隣で聞いてた僕には凄く興味があった。
部活ではなく、サークル。しかも命を尊い活動する。

もう迷いは無かった。

サークル説明に足を運んだ。
そこで見たのは先輩の笑顔。
すっごくキラキラしているのを憶えている。
充実に満ちた顔がみんなかっこ良く見えた。
そのあとの先生が持ってきた一枚の紙が印象的だった。
車いすに乗ったライフセーバーのチラシだ。
「誰でもライフセービングができる!
泳ぐのが遅くても、
走るのが苦手でも、
声掛け一つで命を救う事ができるんです。」
と、
しびれた、、、
そして、ここなら伸び伸び活動できる!
ここで活動したい!!
って思った。
これがライフセービングの出会い。

ライフセービング活動は楽しい事だけでは無かった。
もともとそんな泳げなかったし、資格を取るのも必死だった。
プールの水でお腹いっぱい、ゲップしながら帰った日々が続く。
海もそうだった。海水でお腹いっぱい、鼻水が滝のように流れ、目も赤く人には見せられない顔だったw。

ガードも大変だった。
一年目は必死だった。
がむしゃらでなく必死だった。
異例の二年目チーフだった。
責任が凄く重かった日が続いた。
三年目は同期と分け合った。
素敵な仲間、最高の後輩達。安心して監視ができた。

そして、体が大きくなって行くのが嬉しかった。
身長も少しだが伸び、筋肉が付いていく体にバネが付いた気分で嬉しかった。
足も早くなった。
置いてけぼりの僕が、みんなについて行けるようになった。
考えも余裕ができた。
凄く身長が伸びた感じがした、視野が広がった。
本当に嬉しかった。

素晴らしい妻と出会い。笑顔が最高の二人の娘に恵まれた。
これもライフセービングの出会いが無ければ、妻との出会いが無かったと思う。
そして、その娘がライフセービングを始めている。
みんなについて行こうと頑張った僕の後ろに娘が追っかけてきてるのだ。
こんな幸せは無い。

明日手術だけど、この病気が僕の人生を劇的に変えた。
ライフセービングと出会えた。
この病気。本当にニクいヤツだ。

今日学生時代のライフセービングクラブの同期から花束と応援のメッセージが届いた。
メッセージの中には同期だけでなく、後輩から先輩、大先輩。そして恩師まで。。。

中盤あたりで、同じ浜を監視した同期3人が連続で出た時は
子供達が目の前にいたけど大粒の涙がこぼれ落ちた。

凄く
幸せを噛みしめていた。

みんなに会いに行く事でいっぱいになった。

一秒でも早く元気になろうと。

そんな時に外科医の先生が様子を見に来て
まいっちゃった(;´Д`A ```
せっかく感動していたのに〜

という事で、
今日は忘れられないプレゼント頂きました。

_DSC0122

_DSC0126

ほんとおまえら最高だよ。
見てろよ!誰よりも元気な同期になってやる!

« 前ページへ次ページへ »