10 2011
Monthly Archive
日 9 10 2011
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神社とお寺巡りコメント(0)
静岡にいます。
妻の学生時代に所属したサークルの同窓会に同席しました。
昨夜は再会を祝い時間を忘れ語り合っていました。
しかし、最近の習慣で朝は早いんですよ。(僕だけ)
なので、今日はランニング。
三保灯台を回って海岸沿いを走る。
後ろに富士山がうっすらと朝日を浴びて浮かんでいます。
海岸には釣り人と海には漁船が朝日を浴びて
とっても綺麗。
そして学生時代よく走ってた三保の松原を抜け
一昨年家族で歩いた神の道をドタバタ走る。
一昨年はここから御穂神社に行く直前で恩師の電話で行けなかったので、今回は朝も早いので参拝してきました。
学生時代に幾度か来てるんですが、何となく来てたので来た事だけしか憶えておらず、
今回はしっかりと参拝してきました。
土 8 10 2011
本日から片瀬西浜海岸にて全日本ライフセービング選手権が開催
今年はライフセービング団体のJLAが発足20周年という事で、特別イベントがいくつか開催され、
その一つにジュニアライフセービング教室というイベントがあったので、きみねを参加させて、
水辺の活動においての様々な注意点を学んでもらいました。
朝3時に山形を出たのですが、3連休の初日という事で大混雑。
なんとか11時のイベントに間に合った
多くの小学生が参加!
元気なお友達で賑わってます!!
最初は準備運動
体をほぐしたらパトキャップの配布。
始めてかぶるパトキャップに困惑
ん〜なかなかかぶれない。。。
手伝ってもらって、
準備O.K.
まずは学科。
知識を想像して頭に詰めてみましょう。
そして、話が終わったら手信号の練習。
みんなで団体行動ができる様に「注目」や「戻れ」などのサインを習い、午前中の授業は終わり。
お弁当を頂きお食事タイム。
トンビがやってきて、みんなの弁当を狙っているというハプニングがありましたが、
みんな集まって食べたので、被害はそこそこに、、、(ひと家族の唐揚げがトンビの餌になってしまった。。。)
午後はCPR体験。
春に盛岡で行ったCPR講習と同じキットを利用して練習。
妻としゅりも参加。
胸部圧迫に子供にとっては強い力が必要で大変だったけど、一所懸命頑張ってました。
しゅりも頑張ったけど、まだ早かったみたい。
ジュニア以外に参加者がいました!
今回はこのCPRキットをもらえるという事で、「明日参加しようかしら!?」って親御さんもいましたよ。
CPRの後はファンレース
旗を使ってリレーを
凄く盛り上がって、負けたチームの子達は「もう一回!!」って叫ぶほど
そしてライフジャケットの使い方
一人で投げ出されたときはこんな感じ。
数名で投げ出されたら固まって浮力を上げましょう。
最後はビーチリレーで締め
本気で走る娘を始めてみたかもしれない。
アンカーの子が早かったのでうちの子がいたチームが1位!
大満足で西浜を離れる事に。
これから静岡へ行くのですが、
その間車の中でずっとパトキャップをかぶっていました。
この教室の間
僕は学生時代のクラブの方々と会いました。
OBだけでも8名、その中にたまたまジョギングしてた先輩に出会って凄く感動しました。
そして学生時代に監視していた浜の後輩達と出会い、その上JLAの理事長はじめ多くの幹部の方々ともお話できる機会をいただき、本当に感謝しております。
一層山形でのライフセービング活動に気合いが入りました。
土 8 10 2011
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おでかけコメント(0)
わぁ!スカイツリーだ!
凄く高いや!
お上りさんが上りまくってますが、なにか問題でも??
水 5 10 2011
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おとうちゃん奮闘記コメント(0)
昨日からいわきにいます。
宿泊先が勿来海岸のすぐ脇。
今日はベタ凪
静かな海です。
さて、今朝もウォーキングを
コースはこちらです。
勿来の関跡まで歩きます。
結構な登りがずっと続き、朝食までの時間を考えると結構ハイペースでかなりキツい。
登った先には、、、
八幡太郎源義家像が建つ
奥には勿来を読む歌碑が10個以上。
松尾芭蕉や小野小町、斎藤茂吉など。。。
勿来とは、平安時代に蝦夷の人間を関東に立ち入らない様足止めした場所
来るなかれという意味
ぶっちゃけちゃえば「蝦夷人こっちくんな」
って事だ。
そんなこんなしていたら、だいぶ時間が経ってしまったため、大急ぎで宿へ。
歩いてある程度の運動には動じなかったんだけど、今回は内股がパンパンです。
土 1 10 2011
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おとうちゃん奮闘記コメント(0)
今朝はいつも向かう東方向ではなく、西へ散策する事にしました。
今朝は寒い!
ぶるぶる震えながらペースをあげて歩いて体をまず暖める事に。
暖まってきた頃差し掛かったのはこちら
柳橋。
通称:涙橋
江戸時代
この先に処刑場があり、この橋の脇にある井戸水を汲み、家族や友人と別れを惜しんだ別れの場所として、涙橋と呼ばれる様になったそうです。
そしてその先には処刑場跡
キリシタン塚があります。
ここで江戸初期にキリスト教の厳禁令が出て60余名のキリシタンが処刑されたそうです。
キリシタン塚を後に、北上すると「中野竹子殉節の碑」があります。
涙橋を渡って会津若松に攻め入る西軍を迎え撃つため戦った娘子軍が奮戦した場所で
薙刀の名手だった中野竹子が倒れた地だそうです。
中野竹子の残した辞世
「武士の猛きこころにくらふれは 数にも入らぬ我が身なからも」
22歳の短い生涯。
戦争ってとても心痛む行いだと、身に染みた朝でした。
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